プトレマイオス朝のインド・アラビア航路船員の観光ルートは…? 余暇二ヶ月くらいあるから色々周れるお得感

少し前に、「ローマ支配初期のエジプトにインド人来てた」という話を書いた。
ルクソール対岸、王家の谷の墓の壁にインド人の落書きが残っていたのが判明したのだ。

プトレマイオス朝時代、インドからエジプトの紅海沿岸までの航路は確立されており、定期船が行き交っていた。この航路は季節風を利用したもので、季節が変わって風向きが逆転すると帰れる、というものになる。つまり、船が目的の港に到着したあと、帰路に適した風が吹くまでは「待ち」となり、その間が観光できる期間になるというわけだ。

で、その期間ってどのくらいあるんだろうなーと思ったので、ちょっと調べてみた。

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まずインドからエジプト方面へは、11月・12月ごろの北東モンスーンを利用する。この時、アラビア半島のカネー付近にいったん停泊。
その後、1月半ばごろに吹くアズヤブ風をとらえて紅海を北上。
2月から3月初旬までにはベルニーケーへと到着する。
ベルニーケー(ベレニケ)はエジプト側の玄関口で、交易都市として栄えた痕跡が遺跡として見つかっている。
そこからコプトスへ陸路移動するとナイル川流域に出られる。

で、帰路は6月ごろに吹くシャマール風で紅海を南下、再びカネー付近に至り、今度は南西モンスーンに乗ってインド方面へ帰る。
帰りにインドのどこに寄るかによって航行距離は異なる。北部のバルバリコンなら近いが、南部のムージリスなどに向かった場合は少し時間がかかる。

ソースは以下の本。
インド洋海域世界の歴史 ──人の移動と交流のクロス・ロード (ちくま学芸文庫) - 家島彦一
インド洋海域世界の歴史 ──人の移動と交流のクロス・ロード (ちくま学芸文庫) - 家島彦一

このスケジュールでいくと、たとえば2月末くらいにベレニケに到着した船乗りは、次に6月に風が吹くまで紅海から出られないので、3ヶ月くらいヒマしてるのである。船が着いたあとの荷下ろしとか、出航の準備とか抜いても、まるまる2ヶ月くらいは余りそうなスケジュールだ。
ベレニケ周辺は、現代だと紅海沿岸のサンゴ礁の綺麗なリゾート地が近いが、当時はダイビングとかはそんなに盛んでもなかろうし、遊べる都会は遠いし、さすがに何ヶ月も海眺めてるのはちょっとキツいかなあ。という感じ。

対岸に渡ってメッカまではるばる巡礼する人もいたかもしれないが、それよりはナイル川沿いまで出て下流のピラミッド見るか、上流でルクソールの大神殿見るかしたほうが楽しそう。
また、最大3ヶ月しかないのなら、北部のアレキサンドリアや南端のアブ・シンベルまで向かうにはちょっと時間が足りないだろうなという感じ。

タイムスケジュールで見てみると、インド人船員がルクソールの王家の谷に向かったのは、実に理に適った観光ルートだなという感じだ。現代まで残っている痕跡は少なくても、毎年一定数の船乗りたちが、季節風の切り替わりを待つ数ヶ月の間にエジプト観光してたのではないだろうか。

ことによったら、毎年このルートで延々インド洋を回遊していたベテラン船員なんかもいたかもしれず、そんなベテランが新人船乗りに自分のオススメ観光地を案内したりしていたかもしれない。古代世界の航路、そして異国からの観光客の行き来を想像してみると楽しい。

インド人、ピラミッド見た時どんなこと思ったのかなあ。やっぱ「インド人もびっくり!」だったんだろうか。(古い)