古代エジプト史の中でも資料の少ない「謎の時代」、第一中間期について。
本によっては三行で(マジで三行で)ざっくり「よくわかんにゃい」と書かれて飛ばされることもある「第一中間期」。
この時代は、ピラミッドをばんばん作っていた栄光の古王国時代が終了したあと、およそ100年ほど続いたとされる、文字通りの「中間」期である。
この時代が終了すると、再び小型の王のためのピラミッドを作り始め、政権が安定する「中王国時代」へと突入する。ツタンカーメンやらハトシェプストやらラメセス2世やらの有名人が登場する「新王国時代」のエジプト文化は、ほとんどが、この「中王国時代」に伝統として確立される。
だが、その前段階の「第一中間期」が、いつ/何故/どうやって始まったのかが分からないのである。政権が不安定だったせいか記録が少なく、目立つ遺跡も無い。
古王国時代を古墳時代とするならば、イメージとしては、第一中間期はヒミコが死んだあと邪馬台国どうなったの? という話に近い。中王国時代でいきなりヤマト政権成立してるんだけど、一体どっから生えてきたんだよ。記録ない間に何があったん。みたいな感じ。
過去の自分が、辛うじての資料をかき集めて作成したページが↓これ。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao40.htm
まず第一中間期は、おおまかに第7/8王朝 と第9/10王朝の2つが存在する。
ナンバリングはプトレマイオス朝時代のエジプト人マネトーが分類した区分を伝統的に使っているが、7/8は何で分割したのか分からない、9/10は同じ王をダブルカウントしていて実際には第9王朝しか存在しなかったのではという説もあり、逆に上エジプトと下エジプトでもっと多数の王朝が同時並行で存在した可能性もあるのでは、と言われている。
余談だが、後世に生み出されたニトクリスという実在しない女王の伝説は、この第一中間期に存在した「ネフェルカラー2世」という王だった可かもしれない。
で、これらの王朝が平行して存在したのか、独立して存在したのかによって、当然ながらトータルの年数が変わってきてしまうのだ。
「第6王朝の政府が分裂していた時代」と定義されている。
また、国土の分裂、複数の王朝の成立は、古王国時代の最後の王朝である第6王朝末期には既に始まっていたかもしれず、その場合は古王国時代の最後の数十年を第一中間期にカウントするべきかもしれない。(自分はこの説を採用しているため、ネフェルカラー2世からは第一中間期としてカウントしている)
どの説取るかによって年表がだいぶずれてしまう上に、確実視されている王名が十人程度なので王権の系譜もよくわからない。
「いつ」始まったのか、時代を特定するのがなかなか厳しいのは事実…。
で、時代以上に説が別れるのが、「何故始まったのか」の部分。
ここは、昔は単純に「デカいピラミッド作りすぎて財政破綻したんじゃね」のような説が有力視されていたのだが、最近ではそんな単純な話ではないことが分かってきている。
王権が崩壊したあと、地方の豪族が各自勝手にピラミッド作り出しちゃうからである。
人的にも、技術的にも、ピラミッド自体は造れたのだ。みんなで集まって一つのデカいのを王のために作ることをしなくなっただけで…。
ということは、「何らかの原因で単一政権を維持できなくなった」「地方分権の時代に入ってしまった」というのが、「第一中間期」の始まりを説明する一つの答えとなる。
古王国時代の王家は基本的に特権階級で、高位神官や宰相などの重要な階級は王族が占めていた。現代のサウジアラビアみたいなイメージだ。
しかし時代が進むにつれ、王家が独占していた知識や技術は一般人にも広まるし、縁組などで王族も増えてゆく。王家の娘を嫁にもらった地方豪族が王権に野心を抱くというのも、ありきたりなストーリーではあるが有り得ただろう。
加えて、旱魃などの自然現象によって祭祀王の権威が落ちた可能性もある。
また、よく言及される話としては、第6王朝の終わり頃に在位したペピ2世という王が長生きしすぎており、次に即位した息子も既に老人で、短期間に王が何人も変わったことが王権の不安定化に追い打ちをかけたかもしれない。
これらの複合要因によって、統一政権は崩壊し、「第一中間期」が始まったのだろう。
たぶん。
古王国時代から第一中間期への移り変わりの時代に書かれたとされる「メリカラー王への訓戒」という古代エジプトの教訓文学には陰謀をほのめかす記述もあるため、王位簒奪や暗殺などの混乱もあったのでは、とされるが、物的な証拠など確たるものがないため説の一つに留まっている。
確かな証拠だけで時代を描こうとすると、ほんとになんもわからん時代なんで、まあ、三行で飛ばしたくなる気持ちも分からなくもない。
とはいえ、この混迷の助走期間があったからこそ、次の中王国時代の伝統は「二度と同じこと繰り返さないように」で作られていくわけなので、単純に飛ばしては勿体ないと思うんですよ。
<中王国時代に登場する伝統>
・王家のきょうだい婚ー王家の外戚に権力を与えないための施策
https://55096962.seesaa.net/article/521171262.html
・官僚制度ー王が政治的に不能になっても行政停止しないセーフティ
https://55096962.seesaa.net/article/202112article_10.html
この時代は、ピラミッドをばんばん作っていた栄光の古王国時代が終了したあと、およそ100年ほど続いたとされる、文字通りの「中間」期である。
この時代が終了すると、再び小型の王のためのピラミッドを作り始め、政権が安定する「中王国時代」へと突入する。ツタンカーメンやらハトシェプストやらラメセス2世やらの有名人が登場する「新王国時代」のエジプト文化は、ほとんどが、この「中王国時代」に伝統として確立される。
だが、その前段階の「第一中間期」が、いつ/何故/どうやって始まったのかが分からないのである。政権が不安定だったせいか記録が少なく、目立つ遺跡も無い。
古王国時代を古墳時代とするならば、イメージとしては、第一中間期はヒミコが死んだあと邪馬台国どうなったの? という話に近い。中王国時代でいきなりヤマト政権成立してるんだけど、一体どっから生えてきたんだよ。記録ない間に何があったん。みたいな感じ。
過去の自分が、辛うじての資料をかき集めて作成したページが↓これ。
http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao40.htm
まず第一中間期は、おおまかに第7/8王朝 と第9/10王朝の2つが存在する。
ナンバリングはプトレマイオス朝時代のエジプト人マネトーが分類した区分を伝統的に使っているが、7/8は何で分割したのか分からない、9/10は同じ王をダブルカウントしていて実際には第9王朝しか存在しなかったのではという説もあり、逆に上エジプトと下エジプトでもっと多数の王朝が同時並行で存在した可能性もあるのでは、と言われている。
余談だが、後世に生み出されたニトクリスという実在しない女王の伝説は、この第一中間期に存在した「ネフェルカラー2世」という王だった可かもしれない。
で、これらの王朝が平行して存在したのか、独立して存在したのかによって、当然ながらトータルの年数が変わってきてしまうのだ。
「第6王朝の政府が分裂していた時代」と定義されている。
また、国土の分裂、複数の王朝の成立は、古王国時代の最後の王朝である第6王朝末期には既に始まっていたかもしれず、その場合は古王国時代の最後の数十年を第一中間期にカウントするべきかもしれない。(自分はこの説を採用しているため、ネフェルカラー2世からは第一中間期としてカウントしている)
どの説取るかによって年表がだいぶずれてしまう上に、確実視されている王名が十人程度なので王権の系譜もよくわからない。
「いつ」始まったのか、時代を特定するのがなかなか厳しいのは事実…。
で、時代以上に説が別れるのが、「何故始まったのか」の部分。
ここは、昔は単純に「デカいピラミッド作りすぎて財政破綻したんじゃね」のような説が有力視されていたのだが、最近ではそんな単純な話ではないことが分かってきている。
王権が崩壊したあと、地方の豪族が各自勝手にピラミッド作り出しちゃうからである。
人的にも、技術的にも、ピラミッド自体は造れたのだ。みんなで集まって一つのデカいのを王のために作ることをしなくなっただけで…。
ということは、「何らかの原因で単一政権を維持できなくなった」「地方分権の時代に入ってしまった」というのが、「第一中間期」の始まりを説明する一つの答えとなる。
古王国時代の王家は基本的に特権階級で、高位神官や宰相などの重要な階級は王族が占めていた。現代のサウジアラビアみたいなイメージだ。
しかし時代が進むにつれ、王家が独占していた知識や技術は一般人にも広まるし、縁組などで王族も増えてゆく。王家の娘を嫁にもらった地方豪族が王権に野心を抱くというのも、ありきたりなストーリーではあるが有り得ただろう。
加えて、旱魃などの自然現象によって祭祀王の権威が落ちた可能性もある。
また、よく言及される話としては、第6王朝の終わり頃に在位したペピ2世という王が長生きしすぎており、次に即位した息子も既に老人で、短期間に王が何人も変わったことが王権の不安定化に追い打ちをかけたかもしれない。
これらの複合要因によって、統一政権は崩壊し、「第一中間期」が始まったのだろう。
たぶん。
古王国時代から第一中間期への移り変わりの時代に書かれたとされる「メリカラー王への訓戒」という古代エジプトの教訓文学には陰謀をほのめかす記述もあるため、王位簒奪や暗殺などの混乱もあったのでは、とされるが、物的な証拠など確たるものがないため説の一つに留まっている。
確かな証拠だけで時代を描こうとすると、ほんとになんもわからん時代なんで、まあ、三行で飛ばしたくなる気持ちも分からなくもない。
とはいえ、この混迷の助走期間があったからこそ、次の中王国時代の伝統は「二度と同じこと繰り返さないように」で作られていくわけなので、単純に飛ばしては勿体ないと思うんですよ。
<中王国時代に登場する伝統>
・王家のきょうだい婚ー王家の外戚に権力を与えないための施策
https://55096962.seesaa.net/article/521171262.html
・官僚制度ー王が政治的に不能になっても行政停止しないセーフティ
https://55096962.seesaa.net/article/202112article_10.html