エジプト西方砂漠で行方不明になったペルシア軍の伝説、「消えたカンビュセスの軍団」について
少し前に、アレクサンドロスが訪れたシーワ・オアシスのアメン神殿についての話を書いた。
実はこのオアシスを目指した異国の王は、彼だけではない。その前に、ペルシアのカンビュセスが軍を差し向けている。ただし、カンビュセス軍のほうは目的地に到達することが出来ず、砂漠の中のどこかでこつ然と姿を消したことになっている。

この伝説について、少し解説しておきたい。
まず、書いてあるのはヘロドトスの「歴史」だけ。
他のソースがなく、内容からしてもちょっと現実味が薄いため、ほとんどのエジプト学者は真実とは見なしていない。
しかしロマンのある話ではある…? ため、過去、何度も「消えたペルシア軍を探す」という名目で西方砂漠の探索が行われてきた。簡単に言うと、昔のテレビの特番で徳川埋蔵金探しとかやってたノリである。
そのへんの経緯は英語版Wikipediaにまとめられている。
Lost Army of Cambyses
https://en.wikipedia.org/wiki/Lost_Army_of_Cambyses
内容についてだが、「歴史」の巻の3、26節とその前後がシーワのアメン神殿への派兵についての記述になる。
カンビュセスがエジプトに来たのは紀元前525年、エジプトの歴史としては第一次ペルシア支配の時代。カンビュセスはまずナイル上流のテーベに向かい、テーベで5万もの軍勢をシーワ・オアシスに差し向けておいて、自らはエチオピア遠征に向かった、と書かれている。
シーワに軍勢を送ったのは、ゼウスの神殿(ヘロドトスの時代には、ゼウス神とアメン神が同一視されていた)を焼き払い、そこにいる人々を捕らえるためであった、という。
しかし、エチオピア遠征が失敗してカンビュセスがテーベに戻ってみると、砂漠に指し向けた軍勢が戻ってきていない。それどころかたどり着いた形跡もなく、カルガ・オアシスを通過した先で大嵐に飲まれて消えてしまったと言われている。大軍を失ったカンビュセスはテーベからメンフィスへと川を下る。
そこでメンフィスで崇められている聖なる牛アピスを惨殺する事件を起こし、こんなものは神ではないと罵って祭司を打つ。
結果、間もなく発狂して多くの災いをペルシア人にもたらした…。
というのがヘロドトスの書いているところである。
要約すると、この部分はカンビュセスがいかに愚かで信心のない王であるかを書こうとした部分である。残虐さがアピスを殺したことによる呪いだといわんばかりの書き方に加え、軍勢がシーワ・オアシスに辿り着けなかったのもアメン神の威光によって道を阻まれたと言いたかったのではないかと勘繰りたくなる流れだ。
つまり、シーワ・オアシスに兵士を差し向けたところまでは史実かもしれないが、5万もの軍勢を送ったという話や、嵐に飲まれて跡形もなく消えたというのは、話を盛っている可能性が高い。
また、エジプトの西方砂漠には古代から使われているオアシスとオアシスを結ぶ通商ルートが存在するが、それを使わずに行軍することはほぼ不可能だ。砂漠地帯には山や谷も多く、水場も限られるためである。
テーベからカルガ・オアシス経由のルートだとすると、カルガ→ダクラ→ファラフラ→バハレイヤ→シーワ と オアシスを順繰りに辿っていくルートとなり、かなりの遠回りになる。ファイユームからバハレイヤ・オアシスに渡るルートのほうがはるかに近い。
いくらオアシスを辿るにしても、砂漠地帯では食料や水はあまり大量に手に入れることは出来ず、補給もままならない。こんな遠回りで5万もの人間が移動するのは、兵站の問題により不可能ではないだろうか…。
砂嵐に飲まれるより先に、飢えか渇きで死ぬのでは…。

この地域に、人をも飲みこむ巨大な砂嵐が時々起きることは事実であるる
近年でも何度か発生しており、実際に死者も出ている。
2023年だとこんな感じ。このへんは検索すればいくらでも出てくる。
発生するのは春先なので、数はともかく、ペルシア軍の兵士がシーワ・オアシスに向かって砂嵐に巻き込まれた、という事件が実際に起きたとすれば、4-5月の嵐の発生しやすいシーズンのことだろう。
Huge sandstorm hits Egypt, killing 4 (ページに動画がついている)
https://www.middleeastmonitor.com/20230605-huge-sandstorm-hits-egypt-killing-4/

また、ヘロドトスの書いている内容とは裏腹に、史実におけるカンビュセスは、別にアピス信仰を禁じてはおらず、メンフィスの神殿に寄進をしたという記録もある。かつて敵だったエジプト人でも優秀なら高い身分に取り立てた、という事例もあり、むしろヘロドトスの書いてる内容は話盛られすぎ、悪人にされすぎとも考えられる。
おそらく地元民には人気が無かったか、ヘロドトス自身がペルシアに好意的ではなかったのでわざわざ悪人といて語られている話をチョイスしたかだろう。
もしくは、ヘロドトスがエジプトを訪れるまでの100年ほどの間に話を盛られ過ぎたのか。
そうした盛られた部分を差っ引いて考えるならば、カンビュセスは単純に、名高いシーワ・オアシスの神殿がどんなとこなのか確認したくて多少の兵を送っただけなのではないだろうか。
で、それらの兵士が不慣れな砂漠で道に迷って遭難した…、くらいなら、現実的にあり得る話だろう。
もしそうなら、砂漠に埋もれている行き倒れの人骨など山程あるだろうから、なかなか探すのは大変だ。金属製の鎧などは、誰かが見つければ再利用するだろうからとっくに消えている。夢がない話だが、まず痕跡が見つかることはないだろうなあ、と思うのだ。
実はこのオアシスを目指した異国の王は、彼だけではない。その前に、ペルシアのカンビュセスが軍を差し向けている。ただし、カンビュセス軍のほうは目的地に到達することが出来ず、砂漠の中のどこかでこつ然と姿を消したことになっている。
この伝説について、少し解説しておきたい。
まず、書いてあるのはヘロドトスの「歴史」だけ。
他のソースがなく、内容からしてもちょっと現実味が薄いため、ほとんどのエジプト学者は真実とは見なしていない。
しかしロマンのある話ではある…? ため、過去、何度も「消えたペルシア軍を探す」という名目で西方砂漠の探索が行われてきた。簡単に言うと、昔のテレビの特番で徳川埋蔵金探しとかやってたノリである。
そのへんの経緯は英語版Wikipediaにまとめられている。
Lost Army of Cambyses
https://en.wikipedia.org/wiki/Lost_Army_of_Cambyses
内容についてだが、「歴史」の巻の3、26節とその前後がシーワのアメン神殿への派兵についての記述になる。
カンビュセスがエジプトに来たのは紀元前525年、エジプトの歴史としては第一次ペルシア支配の時代。カンビュセスはまずナイル上流のテーベに向かい、テーベで5万もの軍勢をシーワ・オアシスに差し向けておいて、自らはエチオピア遠征に向かった、と書かれている。
シーワに軍勢を送ったのは、ゼウスの神殿(ヘロドトスの時代には、ゼウス神とアメン神が同一視されていた)を焼き払い、そこにいる人々を捕らえるためであった、という。
しかし、エチオピア遠征が失敗してカンビュセスがテーベに戻ってみると、砂漠に指し向けた軍勢が戻ってきていない。それどころかたどり着いた形跡もなく、カルガ・オアシスを通過した先で大嵐に飲まれて消えてしまったと言われている。大軍を失ったカンビュセスはテーベからメンフィスへと川を下る。
そこでメンフィスで崇められている聖なる牛アピスを惨殺する事件を起こし、こんなものは神ではないと罵って祭司を打つ。
結果、間もなく発狂して多くの災いをペルシア人にもたらした…。
というのがヘロドトスの書いているところである。
要約すると、この部分はカンビュセスがいかに愚かで信心のない王であるかを書こうとした部分である。残虐さがアピスを殺したことによる呪いだといわんばかりの書き方に加え、軍勢がシーワ・オアシスに辿り着けなかったのもアメン神の威光によって道を阻まれたと言いたかったのではないかと勘繰りたくなる流れだ。
つまり、シーワ・オアシスに兵士を差し向けたところまでは史実かもしれないが、5万もの軍勢を送ったという話や、嵐に飲まれて跡形もなく消えたというのは、話を盛っている可能性が高い。
また、エジプトの西方砂漠には古代から使われているオアシスとオアシスを結ぶ通商ルートが存在するが、それを使わずに行軍することはほぼ不可能だ。砂漠地帯には山や谷も多く、水場も限られるためである。
テーベからカルガ・オアシス経由のルートだとすると、カルガ→ダクラ→ファラフラ→バハレイヤ→シーワ と オアシスを順繰りに辿っていくルートとなり、かなりの遠回りになる。ファイユームからバハレイヤ・オアシスに渡るルートのほうがはるかに近い。
いくらオアシスを辿るにしても、砂漠地帯では食料や水はあまり大量に手に入れることは出来ず、補給もままならない。こんな遠回りで5万もの人間が移動するのは、兵站の問題により不可能ではないだろうか…。
砂嵐に飲まれるより先に、飢えか渇きで死ぬのでは…。
この地域に、人をも飲みこむ巨大な砂嵐が時々起きることは事実であるる
近年でも何度か発生しており、実際に死者も出ている。
2023年だとこんな感じ。このへんは検索すればいくらでも出てくる。
発生するのは春先なので、数はともかく、ペルシア軍の兵士がシーワ・オアシスに向かって砂嵐に巻き込まれた、という事件が実際に起きたとすれば、4-5月の嵐の発生しやすいシーズンのことだろう。
Huge sandstorm hits Egypt, killing 4 (ページに動画がついている)
https://www.middleeastmonitor.com/20230605-huge-sandstorm-hits-egypt-killing-4/
また、ヘロドトスの書いている内容とは裏腹に、史実におけるカンビュセスは、別にアピス信仰を禁じてはおらず、メンフィスの神殿に寄進をしたという記録もある。かつて敵だったエジプト人でも優秀なら高い身分に取り立てた、という事例もあり、むしろヘロドトスの書いてる内容は話盛られすぎ、悪人にされすぎとも考えられる。
おそらく地元民には人気が無かったか、ヘロドトス自身がペルシアに好意的ではなかったのでわざわざ悪人といて語られている話をチョイスしたかだろう。
もしくは、ヘロドトスがエジプトを訪れるまでの100年ほどの間に話を盛られ過ぎたのか。
そうした盛られた部分を差っ引いて考えるならば、カンビュセスは単純に、名高いシーワ・オアシスの神殿がどんなとこなのか確認したくて多少の兵を送っただけなのではないだろうか。
で、それらの兵士が不慣れな砂漠で道に迷って遭難した…、くらいなら、現実的にあり得る話だろう。
もしそうなら、砂漠に埋もれている行き倒れの人骨など山程あるだろうから、なかなか探すのは大変だ。金属製の鎧などは、誰かが見つければ再利用するだろうからとっくに消えている。夢がない話だが、まず痕跡が見つかることはないだろうなあ、と思うのだ。