エジプト・カイロ博物館(タハリール広場にある旧博物館)、120周年記念

開館準備の進む第エジプト博物館とは別に、古くからあるタハリール広場のカイロ博物館のほうもリニューアルして120周年記念イベントを開催。 1902年にこの場所に移ってきて開館した中東地域で最古の、歴史ある博物館…なのだが、歴史がありすぎて建物も設備も古いしアクセシビリティもよくない、建物そのものが考古学遺物みたいな場所なのだ。 E…

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古代エジプトの書紀坐像から考える、「職業への概念」

古代エジプトの私人像(王や貴族ではない一般庶民の作らせた像)には、美術的にすぐれたものが少なくないのだが、その中でも書紀坐像は特に目を引く存在だ。こういう↓やつなのだが、書紀という職業の人が、自分の仕事中の姿を永遠に留めたものである。 古代世界における書紀は高給取りのいい職業で、現代でいえば、医者・弁護士・代議士と…

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古代エジプト人は捕虜に「焼印」を押していた? 小さすぎる焼きごての使い道

古代エジプトでは、主に女性について入れ墨を入れる習慣があったことが知られている。  ⇨前の記事「古代エジプトと入れ墨の呪術:職人村のミイラ分析から」を参照 一方で、戦争捕虜らしき外国人に入れ墨? を入れているシーンがメディネト・ハブの神殿の壁画にあり、これは入れ墨なのか、それとも後の時代では一般的な、奴隷に入れる焼印のようなもの…

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モザイク画ではない「床絵」、紀元前1500年世界のエジプトの床装飾

床絵、というと無条件にモザイク画を思い浮かべる人も多いと思うが、ガラスの小片を埋め込むモザイク画の大画面は、当然ながら、狙った色のガラスを大量生産できるようにならなければ登場しない。 それ以前の世界では、「床絵」=床に漆喰塗った上に絵の具で絵を描く、という手法になる。 遺物の残りのいい古代エジプトではいくつかの実例が発見されてい…

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古代エジプトと入れ墨の呪術:職人村のミイラ分析から

なんか最近エジプトミイラの入れ墨の話が多い気がするが、たぶん、そもそも「入れ墨入ってることがある」って気づいたのが最近だからなのだと思う。 そして、かつては一般民衆のミイラはあまり顧みられることがなく、大量に出土するため廃棄されていたものも多かった。 Protective childbirth tattoos found on …

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遊牧民はなぜその生活を選んだのか→もしかして、元々は役割分担では…?

少し前に調べていた、この問題。 「遊牧民」はなぜ誕生したのか。その生活スタイルの起源が意外と謎だった。 https://55096962.seesaa.net/article/493040666.html 色々な地域の遊牧民の生活史をあさっていくうちに、何となくわかってきたことがある。 ほぼすべての遊牧民は、定住者との物…

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ツタンカーメン発掘時に行方不明になったジュエリーの行方、百年の果てにいくつかが発見される

今年はツタンカーメン発掘100周年、ということで色んな記事が出ているが、ツタンカーメン発掘には実は”黒歴史"と言うべきものもいくつかある。 有名な「ツタンカーメンの呪い」のような話ではない。発掘を担当したハワード・カーターが地元メディアを締め出した話、講演で儲けながら地元に還元しなかった話、手記の内容と裏腹に発見した当日の夜に墓にこっ…

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近くにあるのに意外と知らない祭神の由来について「八幡神と神仏習合」

子供の頃、近所に八幡神社があった。 「はちまんさん」と呼んでいて、放課後遊びに行くときは「はちまんさん、いってくる(境内で遊ぶ)」と言ってたし、神社のお祭りといえば「はちまんさんの秋のおまつり」だった。境内の中の広場は、定番の遊び場だったのだ。 ――の、わりに、祭神の由来とか、そもそも「八幡さま」とは何かみたいなのは全く考えたこ…

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中世バルト海のニシン交易はヴァイキングが行ったものか? 魚の骨のDNAから海上交易が明らかに

遺跡から出た魚の骨の分析から、ハンザ同盟に先だち、誰かがバルト海のニシンをポーランドに運んでいたことが分かってきたらしい。ハンザ同盟は西暦1,200年頃、今回の証拠はその400年前の800年頃なので、おそらくヴァイキングでは? とのこと。 遺物から交易ルート割りだそうとしている研究はよく見かけるけど、これは魚の骨を使ってて、ちょっと手…

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ツタンカーメンの墓の真の発見者は? ハワード・カーター以外に関わったエジプト人たちを探して

100年も前のヨーロッパの学者といえば、現代基準だとだいたい「差別主義者」になってしまう。 エジプト考古学の巨人と言われたやフリンダース・ピートリや、数々の遺物コレクションをイギリスにもたらしたウォーリス・バッジでさえもそうだし、ヌビアの古代文明研究の基礎を築いたジョージ・ライズナーなどは、現地の未開人に高度な文明は築けないと断じてい…

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ナミブ砂漠のフェアリー・サークル、シロアリ説も否定。最後に残ったのは「植物界の水利権」

ナミブ砂漠には、植物が生えてこない丸い地面が点在しており、半世紀も前から色んな学説が出ては消えている状態で、どうやって出来るのかが謎のままとなっている。 そんな中、近年、一つずつ仮説が否定されていっている まずはこれ、「有毒な植物が他の植物の成長を阻害している」説の否定。 妖精は砂漠に踊る。ナミブ砂漠に出来る謎の「フェアリ…

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「遊牧民」はなぜ誕生したのか。その生活スタイルの起源が意外と謎だった。

定住せずに、移動しまくりながら生活していく「遊牧」という生活スタイルは、一体いつ、どのようにして生まれたのか。 そんな疑問がフト浮かび、そもそも彼らはいつから遊牧生活してるのか、とか調べようと思った。意外と知らない遊牧スタイルの起源ーー。 ●遊牧と移牧の違い まず最初に、「遊牧」と「移牧」の違いをおさらいしておく。 遊牧…

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マヤ人のお塩生産力はどのくらい? 文明を支えた「塩」の力とは

古典期マヤ(いちばん人多くて栄えてた時代)の塩の生産についての論文が出ていたので、ざっくり読んでみた。 この遺跡はベリーズの南、カリブ海に面したところにある。もともと海辺にあり、現在は海水面の上昇とともに沈んでしまっている場所になる。 Household salt production by the Late Classic M…

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聖書に出てくるヘテ人と「ヒッタイト帝国」の違い。/時代と場所

前段はすっとばすが、旧約聖書に出てくるカナアン在住の「ヘテ人」と、古代エジプトと対立したヒッタイト帝国の「ヒッタイト人」の違いについて、ざっくりまとめておきたい。 両者はイコールではない。 系統的につながってはいるものの、イコールではないのでない。ヘテ人=ヒッタイト人の一部の末裔、くらいで認識しておくといい。 まず、ヒッタ…

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あれから7年…ISに破壊されたニネヴェのマシュキ(Mashki )門の再建が始まる。

2016年にIS(イスラム国)によって破壊された遺跡の一つ、イラン北部、古代のニネヴェの町にあったアッシリア時代の門が復元されようとしているというニュースを見かけた。地面の下に埋もれていた美しいレリーフの一部は無事だったようで、そこが写真に出ている。 なお、この門は、アッシリアの王センナケリブの時代に建造されたものと考えられている。お…

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